2017年10月7日土曜日

2 望 遠 鏡

 彼、一九三一年(昭和六年)一月一日生まれ。当年四十歳。東京の大学、教育心理学部を卒業して、地方大学の講師をしている。

 学生時代は行動的で雄弁家で人付き合いも大変評判のいい青年であったが、あまり学問をしたせいか、無口になり、行動力がなくなり、人間嫌いになってしまった。
 かといって、人生がつまらないものだとはちっとも思っていない。寸暇を惜しんでは、読書をし、読書に疲れては瞑想に耽る。

 自己内省による心の変化や移リゆく肉体的変化を、また、妻や子の性格や意識や行動、それに身体的変化、その他、人間や動物の生活のようすを観察するだけで、結構満足し、楽しい日々を送っている。

 自己内省や身近な人間の観察にあきると、全く知らない世界を観察して見たくなる。それも極自然に、相手に気取られず相手のありのままの姿が見たいのである。

 日曜日も正午前になると、読書に疲れ一息入れるために、望遠鏡をもって屋上のベランダに出る。そして、町の風景を眺めるのが一つの楽しみになっていた。

 今日は特別に陽射しが肌に気持ち良い。白い雪の塊が町の立体感に陰影を添えて湯の町の異国情緒をそそる。
 鶴見山の方角は、雪一つ無く晴れているが、東の海上にはかなりの雲が広がって、こちらに向かって緩やかに進行している。
 海から山に向かって雲が移動するときは、きっと午後から雨になるようである。
この町での四十年間の生活から得た知識である。

 まず、ベランダに出ると、東側の手すりにもたれて、海の様子、特に波の動きを観察する。波は見るたびにその表情を変える。色と動きがその日の天候状態をよく表出している。 今日の海は少し黒く、白波が小さく海面を走って、空模様が悪くなる前兆であった。

 国道十号線を電車が走っているが、乗客はまばらで二、三人が立って窓際より山の手の方を眺めている。最高級の望遠鏡なので、距離は相当離れていても、顔の表情までよく観察することができる。

 白波がたつ海をバックに建物が無造作にばらまかれ、道路が黒いテープのように直線にあるいは曲線に交差しあっていた。
 ホテルHがひときわ大きくそびえ、動くものは波と雲と、そして、車と人のみ。
さすがは駅前通りで、車と人の動きが目立つ。駅の裏側、西口に近年新しい道が一本開通した。
 オレンジ色に赤い線の入ったディーゼルカーが、北から南へと走っていくのが目に入る。その手前を列車と並行に並んで、かなりのスピードで、グリーン色の大型の単車が走っている。
 白いヘルメットに革のジャンパー、若さが弾んで走っていたが、交差点五メートルほど手前で急停車すると、後ろを振り返り、手をあげた。だれか知人でも発見したのであろう。 停車している単車の前方交差点角を一人の幼児が走っていった。後ろを振り返り、走っては止まり、また、後ろを振り返っていた。
「あぶないな」という予感がしたが、ヘルメットの若者はまだ後ろを振り返って眺めていた。
 幼児は、隠れるつもりか、交差点直前で急に走リだし、角を曲がった。案の定、幼児は止まっている単車にぶつかリ転んだ。
 ヘルメットの若者は、泣き声にびっくりして単車から飛び降りた。単車は路面に倒れた。若者は幼児を抱き起こした。額のあたりを負傷し、出血した血は、泣きじゃくる幼児の手につき、顔面に広がった。

 交差点を曲がった一人の女、幼児の母であろう。仰天して、手に持っていた荷物を放り出すと、子供のそばに駆け寄った。若者から子供を取り上げると、ふるえながら、ハンカチで顔の血をふいた。三人、四人とやじ馬が集まって、事件は意外な方向に発展しそうな雲行きである。

 若者は白いヘルメットをとり、単車を立て、母に、そして、やじ馬連中に向かって、何やら説明を始めたようである。確かに、若者は止まっていた。
 しかし、目撃者がいない場合は、現場の状況から、若者は完全に不利になるだろうことは予想された。やじ馬は、十五、六人に増え、パトカーがやって来た。係の警官が事故なれした態度でノートにメモを始めた。

 彼は音声の故障したテレビドラマを見るような気持ちで、自分流に解説をつけながら、この心理劇に望遠鏡の焦点をあわせていた。
 「制限速度オーバー、前方不注意、事故が軽くてよかった」
 「ち、ち、ちがいます。とっとっ・ ・」

 幼児も母親も時間の経過とともに落ち着きを取戻し、ことのなりゆきを他人ごとのように眺めていた。
 若者だけがひどく興奮して、青い顔を緊張させ、鼻をピクピク、何かいおうと口を開けるのだが、また、鼻をピクピク痙撃させると黙ってしまう。



 いつのまにか、上空には雲が広がり、望遠鏡の画面に粉雪が映ったが、彼はまだ望遠鏡を覗いていた。


  
   

   

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